2012年5月4日金曜日

Ashley事件から生命倫理を考える(ミラー) 201103


ちょっと前のこと、同い年の友人が
若い女性たちとご飯を食べながら、
恋愛相談に乗っている場面に居合わせた。

ひとしきり、どんな相手がいいかとか
子どもは何人ほしいかなどと聞いた後で、

「あんたたちね、世間にはいろんなことを言う人がいるから
騙されちゃいけないよ。女の敵は女なんだからね」

うん、うん。そういう面もあるかも……と思いながら聞いていたら、

「エクスタシーがどうのこうの言う女っていっぱいいるけど、
乗せられて、そういうものがあるって信じちゃ、ダメだよ。
エクスタシーなんて、ありもしない夢物語なんだから」

――え? 

「若い女性にそういうの吹き込んで結婚に幻想を持たせる女って、
ほんと、女の一� ��の敵だとつくづく思うわ。

昔から、よく言われてるのよ。セックスの最中に地震が来ても
男は必死だから気づかないけど、女はみんな気づくってね。
女ってそういうもの、現実はそういうものなの」

げぇぇぇ――!!!

私は内心、椅子から飛び上がって天井を突き抜けていきそうな勢いで仰天した。

だって、
エクスタシーというものが現に存在するかどうかなんて、
私が小学生の頃に母親が貸し本屋で借りてくる「主婦の友」なんかの
袋とじのページで、こっそり生真面目に議論されてたことじゃないか。

(私が知っているのはもちろん、母親のいないところで指で隙間を作って覗き読んだため)

そんな話が、あれから軽く40年は経った今の時代に
自分と同い年の女友達の口から出� �くるなんて……。


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私は衝撃に翻弄されつつ、
つかのま、頭の中で忙しく葛藤した。

たぶん"現役"をすでに引退しているか
いずれにせよ引退に近づいているであろう同い年の友人に向かって、
あんたの性生活は恐ろしく不運だったのだと指差し、暴いてしまって、いいのか?
そんなの、あまりに残酷ではないか……。

しかし、今から恋愛し結婚しようという若い女性たちが
こんな話を聞かされるのを黙って見過ごすのも……。

後でじっくりと振り返って考えれば、
彼女たちにしたって、まさか処女という年齢でもなく、
立場上、素直に聞いているフリをしていただけかも知れず、
私だって、自ら加担さえしなければ自分の良心に恥じることはないのだ� �ら、
知らん顔で笑っていることが、あの場合は正解だったように思えてくるのだけれど、

気がついたら、つい口からこぼれ出ていました。
「そんなこと、ないよ。エクスタシーは、あるよ」

感情を交えずに事実として口にしたつもりだけど、
その後の会話はやはり俄かに上滑りに沸き立ってバブリーな感じのものになりました。

口にしてしまった以上、
どんなバブリーな質問にも正直に淡々と応じることを意識・努力したつもりですが、
具体的な内容は、適当にご想像ください。

友人はもちろん私がいろんな意味で例外的な女なのだと考えたいみたいだったし、
でも、それだけで終われるほど鈍い人では決してないから、
私は無思慮にも彼女を深く傷つけたのだと思う。


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なんで、あそこで、黙っておけなかったんだろう……と
その後、ずっと後味の悪さを引きずっているのだけれど、

忙しく頭の中で葛藤した、あの瞬間、
やっぱり私は憤り、許せなかったんだと思う。

もちろん彼女の言葉が。
そこに聞こえる、女を抑圧してきた世間サマの声が。

あの「主婦の友」の袋とじから40年以上も経って、
まだ、あの袋とじの中にとどまっている女がこの日本に残されているという発見が。

それは、いまだに男たちが妻を自分と同じ1人の人格として認めていないことの、
とても分かりやすい現われなのだということが。

それに気づかないまま若い女性に見当違いな訓をたれ、
抑圧に加担している ことに無自覚な友人の鈍感さが――。

あの時、私はたぶん本当は言いたかったんだと思う。
そう言っているあんたこそが女の一番の敵なんだ、って。

でも、別の言い方でそれを口にした私は、
たぶん一番の被害者を傷つけてしまっただけなんだ……ということを、
あの日から、ずっと考えている。

もしかしたら、一番の敵になりやすいのは一番の被害者――。
そんな構図が潜んでいるのかもしれない。

女にとってのセックスだけじゃなくて、
他のいろんな弱者をめぐる問題や、その周辺でも――。

              ――――――――

以下のエントリーで、英国の女性ジャーナリストの
「なぜ自殺幇助合法化の闘士たちには女性が多いのだろう?」
また、なぜ彼女たちの� �ートナーはそういう話に
ニコニコしているのだろう?」という疑問と、


バージニア州リッチモンドの痛み医師

川口有美子氏の「逝かない身体」で読んだ
「世話をする人」としての役割を果たせなくなったことに負い目を感じて
人工呼吸器装着の選択ができない女性ALS患者さんについて書いた。

Cameron党首、自殺幇助合法化に反対を表明(2010/4/9)

その後、この問題については以下のエントリーでも書いてきた ↓
シンガポールで末期がん女性が自殺幇助を希望(2010/5/12)
元クリケット選手「ALSの妻が一人で自殺したのは未整備の法のせい」(英)(2010/9/24)

それから、まだ書いていないけれど、
取材で、若年性認知症患者の支援者の方から耳にした話として、
ずっと胸の奥に重い固まりを作って忘れられないのが、

妻が若年性認知症と� ��り夫の方に介護能力がないために虐待が起こりそうだったので、
支援者が介入してグループホームへの入所を検討するよう話を切り出したところ、
「女房を施設に入れるだと? じゃぁ、オレの性的欲求はどうしてくれるんだ?」と。

次に友人に会ったら、、
あの日言いそびれてしまったことを言いたいと思っている。

もしまだ"現役"だったら、
いや、もう"引退"していたとしてもちょっと引き返して、
長年連れ添ってきた夫に向かって正面から言ってやんなよ。

「死ぬまでに、私だって地震が来ても気づかないほど我を忘れてみたい。
今まで何十年と、あなたは自分の満足しか考えてこなかったのだから、
一度くらい、私の満足を考えてちょうだい」って。

それが、私たちの次に続く� �代の女に対して、
あなたにしてあげられる最大の親切かもしれないし、


あなた自身が、これから
どちらに何が起こっても不思議ではない老後に向かって夫婦で生きていくためにも、
それは、何よりも夫に求めておくべき重大な意識転換のはずだと思うから。

エクスタシーなんて夢物語だ、セックスは妻としての退屈で苦痛なだけの義務だと
信じ込まされている女が1人もいなくなるまでは、

どうか、お願いだから、

「家族に(夫に)介護負担をかけたくないから」死にたいという望みに
「分かったよ。じゃぁ君の望みのままに」と思いやり深く応じて妻を死なせる夫を
免罪するような社会を作らないでください。

          



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