3-1 突然変異の種類
DNAの優れた複製機構のために遺伝子は高い安定性を保っている。DNAの複製に伴うエラーの率は1/109-10 程度であり、物理・化学的にはとうてい説明不可能なほど低い。これは全ての生物がエラー修復機構を何重にも備えているためである。しかし、遺伝子が不変であるとすれば、現実の生物集団中にみられる遺伝的変異の起源や、さらには、この変異にもとづく生物の進化の事実を説明できないことになる。実際には、低頻度ではあるが、遺伝情報は変化する。つまり、遺伝子の複製の誤りがみられる。これを、突然変異(mutation)という。 突然変異という言葉はド・フリース(de Vries 1901)によるものである。彼はオオマツヨイグサ(Oenothera lamarchiana )に形態的に大きく異なる変異が頻発することを観察し、この現象に対してMutationという名称を与えた。ダーウィンの自然選択説が微小な遺伝的変異に自然選択が働いた結果、新しい種が生ずると主張したのに対抗して、ド・フリースは突然変異によって新たな種が突如として出現するという「突然変異説」を唱えた。その後、ド・フリースのいう「突然変異」は特殊な染色体異常が原因であることが判明し、その主張は誤りであることが明らかになったが、突然変異という言葉だけは現在も使われている。ただし、その意味するところはド・フリースのものとはまったく異なる。
突然変異の定義
突然変異をもっとも包括的に定義すれば、「遺伝物質の質的・量的変化による遺伝情報の変化」ということができよう。ただし、分子進化学などの分野では、遺伝情報の変化を伴わないような変化、例えば、DNAの塩基配列の変化がアミノ酸の変化をもたらさない同義置換なども突然変異ということが多い。
突然変異体 (mutant)
突然変異遺伝子をもつ個体のことを突然変異体という。しかし、ヒトの血液型などのように野生型がどれかわからないことも多いこと、また、分子生物学の発展によって突然変異として認識されない遺伝的変異も検出されるようになったことから、最近は「遺伝的変異体」(genetic variant) と呼ばれることが多い。
突然変異の種類
突然変異の種類にはさまざまなものがあるが、便宜的に以下の2種類に大別されることが多い。
(1) 染色体突然変異(または macromutation): 染色体の数および巨視的構造の変化
(2) 遺伝子突然変異(または micromutation): 遺伝子構造の変化
いずれも染色体、つまりDNA上に生じた変化であることには違いはなく、両者を厳密に区別することはできない。通常は、光学顕微鏡で観察できるような変化を染色体突然変異と呼ぶ。
3-1-1 染色体突然変異
染色体突然変異にもさまざまな種類がある。主なものについて例を挙げながら説明する。 (1)倍数性(polyploidy)
基本的な染色体のセットであるゲノムを単位とした染色体数の増減である。植物にはごく普通にみられる。倍数性によって生じた変異体を倍数体(polyploid)というが、これには、同質倍数体と異質倍数体とが区別される。
同質倍数体(autopolyploid)
同一のゲノムのセットが増加したもの。
(例)日本産のキク科植物の基本染色体数はn=9であるが、さまざまな倍数体が知られており、下に示すようにそれぞれ別種として扱われている。
リュウノウギク、ハマギク | 2n=18 | (2倍体) |
アブラギク | 2n=36 | (4倍体) |
ノジギク | 2n=54 | (6倍体) |
シオギク | 2n=74 | (8倍体) |
イソギク | 2n=90 | (10倍体) |
異質倍数体(allopolyploid)
異なる種に由来するゲノムを持つ倍数体で、雑種の染色体が倍化したもの。植物では新しい種の形成機構として重要である。また、動物でも、単為生殖を行う生物では雑種起源の異質倍数体が多く知られている。
(例)栽培コムギの起源
木原 均(1944)はゲノム分析という方法を用いて、栽培コムギの祖先を明らかにした。ゲノム分析とは、雑種植物の花粉母細胞の減数分裂を観察し、同じゲノムに属する相同染色体は対合して、二価または多価染色体を形成することを利用して、ゲノム構成を明らかにしようとする方法である。図に示すように、例えば、Aゲノムの2倍体(AA)とBゲノムの2倍体(BB)植物を交配して得られた雑種では、ゲノム構成はABとなり、減数分裂では二価染色体はみられない。これに対して、AABBとAAとの交配から得られる雑種はAABとなり、二価染色体とい一価染色体が同数形成される。図中のXは基本染色体数を、添え字のI、II、IIIは、それぞれ一価、二価、三価染色体を示す。
ゲノム分析の結果、普通コムギはAABBDDという3種類の異なるゲノムからなる異質6倍体であること、AABBは栽培コムギの一種である二粒系コムギ由来であることがそれまでの研究でわかっていたが、DDゲノムが野性種のタルホコムギ(Aegilops squarrosa)に由来することを明らかにしたのである。また、AAゲノムは一部の地域で栽培される一粒系コムギが持つことがわかっていた。
1955年、木原らは京都大学DD探検隊を組織し、西アジアのカラコルムおよびヒンズークシで、麦畑の雑草の中にタルホコムギを発見し、これと二粒系コムギとの自然雑種から普通コムギが誕生したものと推測された。また、BBゲノムの起源は中近東に分布する野性種のAegilops speltoidesとみられている。これらの研究の結果、普通コムギの由来は以下のように推定された。
一粒系コムギ
(Triticum monococcum) × Aegilops speltoides
ゲノム=AA(2n=14) BB (14)
↓
二粒系コムギ タルホコムギ
(マカロニコムギ;T. darum) × (Aegilops squarrosa)
AABB (28) DD(14)
↓
普通コムギ
(T. aestivum)
栽培植物における倍数性の利用
倍数体では、細胞のサイズが大きくなるため、根、茎、葉、花などの栄養器官が大型化する傾向がみられる。このために栽培植物には、倍数体のこのような特性を利用したものが多い。我々の先祖たちは自然に生じた倍数体の中から、作物として利用価値の高いものを選択してきたのであろう。いくつかの例を挙げる。
| 野生種 | 栽培種 |
---|
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カラスムギ | 2n=14、28 | 42 |
コムギ | 14、28 | 28、42 |
ワタ | 26 | 26、52 |
タバコ | 24 | 48 |
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近年では、魚の3倍体の利用が実用化されつつある。3倍体の魚では性の分化がみられないため、発育がよいという。
(2)異数性(aneuploidy)
特定の染色体の数の増減をもたらすような染色体突然変異。ヒトではさまざまな異数性が知られているので、ヒトの例について紹介する。
ダウン症候群(Down syndrome)
ラングドン−ダウン(Langdon-Down 1866) が最初に記載したことからこのように呼ばれる。ラングドン−ダウン自身は「蒙古症」(Mongolism)と名付けたが、現在ではこの名称は用いられない。顕著な蒙古ひだ(目もとのひだで蒙古人種に特徴的)、釣り上がった眼、平たい顔、短頭、扁平後頭、手掌紋の異常などの形態的異常を示し、身体、精神の発達が著しく遅れる。また、早老性や心臓の異常も多発する。
出生頻度: 300〜700人に1人の割合でみられ、ヒトの染色体突然変異の中ではもっとも多い。母親の年令が高くなると増える傾向があり、母親が40才以上では1/100、45才以上では1/50になるという。
原因: 1959年、フランスのルジューンら(Lejeune et al.)はダウン症の患者の染色体数は47本であり、もっとも小さいグループの染色体が1本過剰であることを報告した。後に、これは第21番染色体を3本もつトリソミー (trisomy)であることが判明した。 常染色体の番号は、当初、大きさ順に1番から22番まで付けられたが、現在では、21番がもっとも小さい染色体であることがわかっている。ダウン症の原因の大部分は、染色体の不分離によるもので、単発性であるが、21番染色体が常染色体に転座した転座型の場合は、きょうだいに繰り返し患者が出現することがある。染色体不分離の場合、21番が1本になったモノソミー(monosomy)が同数生じるはずであるが、実際にはみられないことから、生存不能であると考えられる。また、他の染色体のトリソミーも、第18番や第22番などで少数知られているだけであり、大部分の染色体のトリソミーは致死になると考えられる。
対策: 羊水や絨毛細胞の染色体検査により妊娠中に発見可能になった。また、特定のマーカータンパクを用いた簡易診断も行われている。しかし、疑陽性が多いため問題になっている。
ターナー症候群(Turner syndrome)
短身長と翼状頚が特徴で体形は幼女型。性腺の無形成あるいは形成不全のため不妊。戸籍上は女性であるが、生物学的な意味では性別は明確ではない。
原因は、性染色体構成がXO(X monosomy)であることによる。減数分裂時の染色体不分離が主な原因と考えられる。出生頻度は5000人に1人程度でまれ。
クラインフェルター症候群(Klinefelter syndrome)
性染色体構成がXXY、XXXYなど、X染色体の過剰による。出生率は男性の約400に1人の割合でみられ、比較的多い。外形は正常の男性であるが、身長が高い(ふつう180cm以上)。男性ホルモンの不足のために、髭が薄い、筋肉の発達が悪い、顔つきが小児型、乳房が発達するなどの特徴がみられる。不妊のため、病院を訪れて判明するケースが多い。
XYY