元国立循環器病研究センター
心臓血管外科
医師 石坂 透
副院長 八木原 俊克
もくじ
はじめに
医療の場で「安全と安心」を提供することが、私たち医療従事者にとって最も大きな目標になっています。心臓病は怖い病気、さらに手術は医療の中で最も危険な治療法だから、心臓手術は"危険な医療"の代表格ではないか、とお考えではありませんか?
確かに、疾患の種類や状態、手術の種類などによっては危険を覚悟しなければならない場合もあります。しかし、多くの心臓手術は必ずしもそうではなく、"安全な医療"になっています。まず最近の心臓手術についてご説明し、それがどれほど安全になっているかをお話しします。
心臓手術(開心術)とは
文字通り、心臓にメスを入れる手術が「心臓手術」ですが、大動脈や肺動脈など、心臓の近くにある大きな血管にメスを入れる手術も心臓手術の中に含まれます。
心臓は生まれてから死ぬまで、ずっと休むことなく動き続けている臓器で、血液を循環させる生命維持装置です。心臓にいきなりメスを入れると、血液が噴出してこれを循環させられなくなり、生命維持ができなくなります。そこで、心臓手術では、血液循環を一時的に代行する機械が必要で、それに用いられるのが「人工心肺」です。
心臓が動いたままでは手術がしにくいので、多くの手術では心臓をじっとさせることも必要です。心臓は生きている限り動き続けています。じっとさせるには心臓を仮死状態にする必要があります。そして心臓の手術が終了すると、仮死状態の心臓を蘇生させて元通りに動かします。
本来、心臓は生きている限り動き続けるように、大変タフな臓器です。回復力も絶大で、蘇生が可能なのです。
心臓の手術をしている状態は、飛行機が空を飛ぶのに例えることができます。重力の法則に反してあのような重い金属物が空に浮かんでいるのは大変危険な気がしますが、技術の進歩で飛行機はすっかり安全な乗り物になっています。「心臓手術は安全ですか?」という質問は、「飛行機は安全ですか?」と尋ねるのと、大まかには同じ種類の質問だと思ってください。
体力はもちますか?
小さな赤ちゃんやご高齢の方の手術に際して、体力はもつでしょうかと尋ねられることがよくあります。単に体が小さいからとか、年だからという理由だけで、手術を断念することは普通ありません。手術に、いわゆる体力は必要ないのです。
しかし、何か心臓以外の病気がある場合は、手術で病状が悪化したり、なんらかの合併症につながったりすることがあり得ます。そういった場合には、あらかじめ状態を把握し、先手を打って準備をしてから手術すると、無用な合併症を避けることができます。
病気の既往のある人はもちろんですが、たとえなくても、手術前に肺や腎臓、肝臓といった他の臓器の機能や、糖尿病その他の全身疾患の有無をしっかり評価しておくと、より安全です。冠動脈疾患などの動脈硬化性の病気では、心臓以外の血管にも病気があることもあり、脳血管病変や動脈瘤の有無なども調べておかなければなりません。
風邪を引いたときや、熱があるときに手術を受けるのも好ましくありません。心臓弁膜症で人工弁を使用する場合、未治療の虫歯があると術後に弁にばい菌がつくことがあり危険です。そんな時はよほど緊急の場合以外、予定を延期します。また、手術創の近くにおできや生傷などがあると術後の感染の原因になることがあり、注意が必要です。
どこを切りますか?
心臓はどこ? と尋ねたら、よく胸の左側を指さす人がいますが、実際には胸のほぼ真ん中にあって、ハート型のとがった先っぽ(心尖といいます)が左側の方を向いています。
心臓と肺は生命維持を担当する重要臓器ですから、胸骨と肋骨という沢山の骨でできたかごの中に納められています。したがって、心臓の手術は、まず胸の真ん中で皮膚を切開し、前胸部の真ん中を縦に走る胸骨をのこぎりで縦切りにして、骨のかごを開くことから始まります。
胸骨は縦割りにすると、ちょうどその人の握りこぶしの幅一つ分ぐらい左右に開くことができます。このすき間から手術の操作をします。さらに心臓は心膜と呼ばれる膜で袋状に包まれています。心膜を切り開くと、初めて拍動する心臓が見えてきます。
心臓に癒着がある再手術では時に出血の危険を伴うこともありますが、胸を開く前に足の付け根の血管を用いて人工心肺を取り付けておくという手段があり、急な大出血に対する安全対策が講じられています。
人工心肺って何ですか?
心臓の手術では、一時的に心臓の血液の流れを止めたり、心臓そのものの動きを止めたりする必要があります。そのために、まず心臓と肺を迂回する一時的な血液の流れを作ります。これが「体外循環」です<図1>。
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